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大江能楽堂

今日はみやこの大江能楽堂へ参った。まず大江能楽堂のウェブページはこちらでござる。
http://www.asahi-net.or.jp/~tn4m-ooe/index.html
大江能楽堂は、観世流大江家の舞台。当年ちょうど百年とのことじゃ。詳しいことは存ぜぬが、都でもなかなかこれほどの能楽堂は御座るまい。また今日は申し合わせじゃによって、見所に人もなし、ついでながら此処彼処、とくと見物致いてまいった。館内写真のページもお見やれ。
http://www.asahi-net.or.jp/~tn4m-ooe/photo.html
舞台の色合い、見所・桟敷の造作、都にふさわしい何ともいえぬ雰囲気じゃなぁ。

さりながら、このように狂言調で書くのはなかなか難儀なことじゃ。思うように書かれぬによってお暇申そうと存ずる。

芸能人

少し前に妻から「好きな芸能人ってだれ?」と聞かれていました。今更なにかと聞いたのですが、たいしたことでもなかったようです。
ふだんテレビも見ないし、芸能人の話題はしないほうなので、即答する人物もなく、まず「十二世野村又三郎」が思い浮かんだわけですが、そういう答えを求めた質問じゃないことはわかるので言いませんでした。
改めて聞かれても困りますね。けっきょく、映画俳優とか、ミュージシャンという感じの人は思いついても、芸能人というのが合う人はこれというのが思い浮かばず、「じゃぁいいよ」と話が終わってしまいました。

しょうがないから「こんど夢に出た人にでもするかな」と、なんとなく考えてからそれきり忘れてたのですが、その後かなり意外な芸能人が夢にでました。山崎バニラ、わかりますかね。大正琴を奏でながら素っ頓狂な声で語る金髪和装の女性。テレビで最近見たわけでもなく、名前だって覚えていたつもりもなかったんです。それが夢できちんと名前まで出てきたのですから、これは観念したほうがいいんでしょうね。山崎女史にとっては意外なところでファンが一人増えました。いつか共演できますかね。

まだらな牛

皆さん、「日本の牛」といわれて思い浮かべるのは、どんな牛ですか。多くの人はいわゆる「和牛」を思い浮かべるでしょう。食肉用の黒毛とか、茶色のですよね。

ところが狂言の「舎弟」には、こんなせりふがあります。

「上野の市で、まだらな牛を盗うで来て、白いところを墨で塗り、余の市へ持っていて売ったは、まだら舎弟の塗り舎弟ではないか。」

これってもしかして、ホルスタインのこと? と思いますよねえ。ホルスタインて昔から日本に居たの?いやそんな筈は…。というのが、一門のあいだで話題になっていました。

その疑問が今日、解決しました!

まだらな牛

画像は東京動物園協会「東京ズーネット」のニュースからいただいたものです。http://www.tokyo-zoo.net/
日本の在来牛というのは、この写真や絵のように黒に白斑のある姿だったんですよ!
いま言う和牛は、在来牛ではなくて、明治以降に在来牛と西洋の牛をかけあわせたものなんだそうです。しりませんでしたねぇー。

「白いところを墨で塗り」というのは、墨をたっぷり使ってホルスタインを黒毛和牛にしたのではなくて、少しの白斑を塗り潰したか、模様をかえたぐらいのことだったんですね。
私は動物好きなんで、ズーネットのメルマガをとっていたからわかったんですが、そうでなければまだ暫く謎でした。

いま在来牛はとても少ないんだそうです。写真の牛は鹿児島県トカラ列島の口之島牛。上野動物園にきた子牛です。かわいいですね。ジャイアントパンダはいないけど、「上野のまだらな牛」を見にいってみませんか。

11月30日朝NHKFM

十一月三十日日曜日、朝七時十五分から放送いたす、能楽鑑賞をお聴きゃれ。この中名古屋で収録致いた、鈍太郎を放送するとのことぢゃ。

野村小三郎どのが鈍太郎、身共は下京の妻、奥津どのは上京の女を致す。

さようならばもうこう参る。さらばさらばさらば。

野村家の旧跡

先日京都の野村又三郎家菩提寺へ行った折、小三郎さんが昔の野村又三郎家のあとへ連れて行ってくれました。

いまは「京都の狂言」といえば大蔵流の茂山千五郎家茂山忠三郎家で、京都検定なんかでもその辺の問題しか出ないようですが、むかし京流といわれたのはいまの和泉流だそうで、当時は京都の狂言と言えば和泉流だったのかもしれません。明治維新後にこぞって京都から出てしまったのだからしょうがないですね。

京都にいた狂言の家は(能の家もかな)たぶんどこでも禁中に出入りしていたようで、又三郎家もまた京都御所の近くに住まいがありました。それがこの写真の「一条松之下」というところ。うろうろ歩いて、松之下町と書いてある消火器の箱と一緒に、みんなで記念撮影しちゃいました。近所の人は不審に思ったでしょう。
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この場所は家一件分の空き地になっていて、「だいちゃん(信朗くん)、おこづかいをためてここを買いなよ!」なんて言ったのですが、「なんで~」という反応。うーん、たしかにこの土地では稽古舞台付きの家は苦しいか。

いま名古屋にある野村家自宅のお稽古場の名前も、「野村松下堂」としてあります。これはもともとの京都の家の名前です。

かぜ

このところ気がかりな用事が多くて、べつに無理をしていたわけではないけれど、一息ついたと思ったら風邪を引いてしまいました。喉が痛い。頭も少し。

又三郎師は毎年これぐらいの時期になると、風邪の予防のために外出時はマスクをして、中へ入ると携帯しているイソジンでうがいをしていました。私などが風邪を引くといつも、「ちゃんとうがいしてたのか?」と聞かれて、「…いえ…」と答えると、「ちゃんとしなきゃだめじゃないか」と言われる。まったくその通りです。申し訳ありません。

高校の時分に稽古日に熱をだして、コンビニでドリンク剤を二本飲んでむりやり稽古に行って、あんなに気をつかっている先生に風邪をうつしてしまったこともありました。ばかですねぇ。ほんとに申し訳ありません。

宝探しみたいなもの

野村又三郎家の台本は翻刻されてないので、あまり研究もされてないようです。各地の大学図書館などに所蔵されている狂言台本のなかから、野村派本を発見するのが楽しみです。

国文学研究資料館という施設が、うちから行きやすいところにあることを知り、脈がありそうな本を二種類見てきました。そのうち一つは、昔(昭和?)の所蔵者がちょっとは研究していたようで、どの系統の本かを考察したメモなどが挟んでありましたが、わからなかったようです。

私が見る手がかりは、まず曲名表記。現在慣用されている和泉流の表記と違う、昔の表記が共通しているものをみます。
次に言葉遣い。曲の最初の名乗りは定型になっていますから、ここに各派の違いがでます。あとのほうのセリフは時代によって言い方が変わったり、セリフが追加されたりするようです。
他には、謡も注目ですね。謡は時代による変化が少ない部分ですから、これが共通してれいればかなりイイ線いくと思います。

で、私が今日みた二種類の本は、イイ線いってました。研究者じゃないので、太鼓判まではおしませんが。もっとも今日のはだいぶ確信がありました。またこんど他に細かいのを調べにいってきます。

日暮里

足立区の中学校へ行くのに、今年できた日暮里舎人ライナーを使うことにし、久し振りに日暮里駅を利用した。

学生の間は、大学に程近い日暮里に住んでいたので懐かしい。しかし今日行ってみたら、駅周辺はガラッと変わっていた。JRの駅のほうも広く、きれいになり、シャレた店が入っている。駅前には高層マンションが二三本建っていて、ぴかぴかモノレールの舎人ライナーから外を眺めながら、こんなに変わっては、きっと家賃も当時より上がったろうな、などと思った。

帰りに日暮里でおりた。エスカレータや階段が複雑に入り組んで、まるで勝手がわからなかった。
駅前を見回すと、馬に乗った太田道灌像はどこへ行ったかわからない。沖縄物産の「わしたショップ」やファミレスの「サイゼリヤ」などがある。学生時代にあったならずいぶん利用したのに、と残念がりながら高層マンション下階のテナントも覗く。エドウィンの旗艦店やタリーズがある。ドトールはあったが、タリーズが出来るような駅ではなかったはず。変わったもんだ。

エスカレーターから、奥のほうのテナントがちらっと見えて、あれっ、と思った。「六文そば」だ。駅前の、そうだ、ちょうどこのビルの辺りにあった、小汚いけど安くて旨い立ち食い蕎麦屋。よく利用した。それがこんなビルの中に、以前と同じような黄色い看板を掲げて営業している。さらに見ると、立ち退きさせられたとばかり思っていた「駄菓子問屋街」の生き残りの店も入っている。

なんだなんだ。やぱりここは、あの日暮里じゃないかと嬉しくなった。

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