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ストレス発散で

舞台に出るというのはもちろん楽しいのですが、ストレスでもあります。
特に能の間語りですと、10分以上次から次に語らなきゃいけないので、見ただけで「覚えるの大変そう」と思っていただけるでしょう。覚えるのはまだいいんです。いくら覚えても、本番には、フッと次の言葉が出なくなるかもしれないという恐怖感がずーっとあるのです。それと闘いながら語るのがたいへん。10年もまえには、毎度毎度胃が痛くなったものです。

てなわけで、公演も終わって片付けも終わったら、帰路には開放感です。
下戸なので飲みには行かないのですが、喉が渇いているので自販機で冷たいものを買ってぐーっと飲んで、食事をガッツリと!

今月はわりと舞台がありまして、そんな日が続いて胃を壊しました。
一週間ぐらい腹が下ったりしてたので、ガッツリは控えるようにしたのですが、それでも食後にもたれやすいです。
困ったものです。

舞台で神経使って胃が痛いのならまだ人に言えますが、結局は食いすぎですからね。

猿座頭

先日、『久習會』で、上演の稀な演目「猿座頭」をしました。
稀なのには理由があります。あらすじを書きます。

勾当(盲人の階級名)が妻と清水へ花見に行く。
良い雰囲気で花見をしていたところ、猿曳(猿回し)の男が通りがかり、勾当の妻をナンパする。
最初は断っていた妻が、次第にその気になってきて、こっそり猿曳に酒を飲ませたりする。
勾当は、妻が度々立ち居しているのに気づいて不機嫌になり、帯で自分と妻をつないで花見を続けようとする。
妻と猿曳は、帯を猿につなぎかえ、二人で駆け落ち。
勾当は妻が猿に変わったので驚き、猿に引っ掻かれながら逃げて行く。

ヒドイ話です。盲人に対してひどい事をする狂言はいくつかあります。狂言解説書には「障碍は前世の報いと考えられていた」などともあって、当時の感覚ではこれで笑えたのだということになっています。「川上座頭」や「月見座頭」「清水座頭」など、人間の深みを描いた名曲とされているものもありますが、「猿座頭」はその対極のように考えられています。上演するのは挑戦か、悪趣味かと、まぁそんなところです。

それでもやることになってしまいました。相当以前から稀曲だったらしく、舞台で見せられる形にするまでが大変だったのですが、その話はここでは割愛します。

さてやってみた感想としては、思ったほど嫌な曲ではありませんでした。
もう一度、すこし詳しくあらすじを書きなおします。

勾当といえば座頭より高い階級です。妻も他の狂言に出てくる妻よりは良い生活をしていそうです。でも花見に妻一人で出かけたりはしづらかった。今日は勾当が気を遣って誘ってくれて、花見に出かけます。裕福なので、花見の酒も使用人にあらかじめ持って行かせます。
そんな二人が手を取り合って、花盛りの清水へ行き、楽しく花見をします。酒を酌み交わし、謡い舞います。いまのところ観客があとの異変を感じるようなことはありません。とてもいい雰囲気です。
ですが大蔵流の本では、勾当はもうしつこいくらいに妻に感謝し、妻を愛し、二人きりでいることを喜んでいるセリフがあります。人ごみを避けて二人で花見をしようとか。和泉流はそこまでではなくて、勾当と妻の良好な関係に密接さを推察させるというぐらいでしょうか。
そこへ猿曳が猿を連れて登場。そいつが勾当の妻を見て一目惚れ。すきを見てナンパする。「久しうもない浮世」などといって、勾当と別れろという。こいつは全く悪い奴です。「丼礑」の通行人みたい。猿曳といえば勾当よりは下層民ですが、アウトローみたいなもんである意味自由人かもしれない。そう、こいつはきっと自由の象徴。
妻の性格は流儀で多少の違いはありますけれど、どちらの流儀でも勾当とは「幼なじみ」なんだといいます。これは裏を返せば積極的に盲人の妻となったわけでもない、でもこれまでは境遇にハッキリした疑問も持たずにきた、というような曖昧な立場だったんじゃないかと思えます。
で、猿曳にナンパされて、アラ私そんなに見目良しかしら、他の男って楽しいのかしら、なんて思いが芽生えてきます。たぶん初めての経験です。勾当に気づかれないように、猿曳を招いて酒を飲ませてやったりする。勾当が花見の雰囲気を楽しんでいる間に、二人の関係の片側が、砂山のようにサラサラ崩れてきます。この情景と事件のギャップも印象的だとは、見てくださったかたのご感想。
勾当もさすがに、たびたび妻が自分のそばを離れたりするものですから、異変に気づいて腹を立てます。自分はこんなに楽しくしているのに、おまえは何だと。そして最後には帯で妻を文字通り「束縛」してしまうのです。
このとき妻のほうは、プツッと何かが切れてしまいました…


あらすじを読んだり、差別を心配して書いてある解説書を読んだりして受ける印象とはだいぶ違います。わかりにくい言葉を選ばずに書いてしまうと、だまされる盲人と、笑う目明きの話なんてのでは決してなくて、心の奥で束縛したい男と、自由を知ってしまった女、という話なんだと思いました。
狂言の登場人物というのは、上限関係の逆転を引き起こし、あの世を信じつつも現世にこだわり、世間体に構わず泣き笑い怒り、時には神仏も都合よく利用したり敵にもまわす。そして「猿座頭」では道徳も捨て去ってしまう。
結末は後味のスッキリしたものではないですけど、ここで仮に「『狂言は後味の良いもの』なんて誰が決めたんだ」と言ってしまいさえすれば、この“本音”で生きる人間臭さは、やはり狂言の登場人物だと思えてきませんか。

こんな生々しい人間臭い話に、観客へ精一杯の救いとして、上々の花見とカワイイ猿をくっつけているというわけです。こりゃなかなかスゴイ曲だなと、私は思いました。

先日演じたときには、最後の場面、又三郎さんの勾当が、猿に驚き追いかけられるところに、悲壮感がなかったのがよかったと思いました。どのように演じるかは人によって変わるでしょうが、最後に素直に猿にびっくりし笑いをとって、狂言としてうまくまとまったと思います。
そういえばそのとき勾当が、「ウワ! 女共が猿になった!」というのは、勾当から見れば、さっきの「人間臭さ」の反対の「人間性」=理性のようなものを失った妻に対する皮肉にも聞こえてきます。深読みしすぎですけれど。

ちなみに鷺流の場合は「花見座頭」という曲名です。猿座頭を今後演じるには、できればこの曲名にできたらいいんですけどねぇ。

チャリティ

昨日は朝日新聞主催、和泉流三派チャリティ狂言会が、名古屋能楽堂で催されました。震災でご両親を亡くされたこどもを応援しようというものです。

入場料の代わりに募金という企画。新聞で大きく広告したそうで、申込みも多く、狂言をあまり見たこのない方がかなりお出で下さったそうです。

番組は佐藤友彦先生の昆布売、野村萬先生の船渡聟、野村又三郎家&狂言キッズの茸。
キッズ茸が登場するたびに拍手が起きるなど、反応上々。募金もたくさんあつまりましたと、主催側のかたからもご報告をいただきました。

能楽は昔から寺社の勧進というチャリティのような名目の公演もしてきましたが、いまでも同じようにやる力はあるんですね。

もちろん今回のだけでなく、各地で能楽師が企画をしていますから、見かけたらご協力をお願いいたします。まだまだ復興途上ですから、何度でも思い出して支援を続けていきましょう。

狂言本棚

狂言本棚
お見苦しい写真ですみません。まだ散らかっているんですが。能楽本用に書棚を買いました。これまでは衣装ケースやカラーボックスや段ボール箱に入れてあふれていたので、とても嬉しい。
しかもこれ、近所のホームセンターへ買いにいったら、一度箱を開封したというだけで2000円で販売されてたのです。なんてついてるんだろう!

狂言教室

又三郎家東京組2名、本日は鎌倉能舞台さまよりお話をいただき、狂言教室をしてきました。中学生ってもう、照れたりなんかしてちょっと素直じゃないけど、まだまだ興味は示してくれます。たのしくやってきました。

これで狂言をわかってほしいとかハマってほしいというわけではないんです。数年後にでも伝統芸能を見る機会があった時に、また興味を持ってもらえるように。自分もそんなもんでしたから。

鎌倉能舞台は長谷の山ぎわ。楽屋口を出たら「ホケキョ♪」なんて声がして、とってもステキな環境です。今度伺うときは終わってから散歩してみようかな。

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