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衿の付け替え

先日テレビを買いました。数年の間にテレビはずいぶん変わりましたね。ただの置物だった20型のブラウン管テレビが40型液晶に化けまして、箪笥の置き場などをかえました。

箪笥には、いただき物の反物などが入っていまして、ひととおり出してみました。いただきはしたものの、なかなか仕立てるお金の余裕もなく、そのままになっていて申し訳ないと思っています。私の三番叟披きの記念に先代からいただいた、紋付用の高級白羽二重生地。狂言共同社の井上禮之助師遺品のセルのアンサンブルもあります。

ほかに、装束の衿の生地もいくつかありました。
狂言装束は「着附け」とか「熨斗目」という、いわゆる着物のかたちをしたものを着まして、その上に、肩衣とか袴を着用します。そして着附けの下には、普通では襦袢を着るところ、「胴着」という綿入れの下着をきているのですけれども、胴着の衿に、べつに『衿』という衿を白い布に縫いつけたピラピラしたものを合わせて着るのです。
話だけ読んでもわからないと思いますが、能楽講座でたまに着付けを見る機会があるかもしれません。

衿は役によって色を変えるので、このように別になっています。たとえば太郎冠者や同様の装束付け(肩衣、半袴)ならば、衿は紺。主人(長裃)なら浅黄。女は紅(年配は浅黄)。
もっともこれは野村又三郎家の色で、他流派ではすこしちがっています。黄色など、私たちでは使わない色を持っているお家もあります。

装束は基本的には師匠となる家がもっているものですが、衿は汗が染みますから役者個人持ちです。紺と浅黄は年中つかって、次第に変色してきます。とくに浅黄。私のもずいぶん色が変わったなと思いながら、見える部分は少しだけ、色が変わったのも首周りだけだからと、長いこと使ってきました。でもさすがにそろそろ…

今度の土曜日は、名古屋で「やるまい会」があります。先代の七回忌追善公演です。
ちょうど良い機会なので、新しい浅黄の衿に付け替えて勤めようと思います。

髷と狂言

このごろ、円形脱毛症です。

といってもじつは去年の11月か12月ごろから始まっていたのですが、このごろは隠しにくくなってきました。あちらこちらにちょこちょこと、全体に薄くなりました。それまでは散髪に行くたびに「多くてボリュームありすぎるから梳きましょう」といわれていたのですが。
あまり苦にはしていないのですけれど、気にはなります。坊主にしようかとかんがえたり、周りを残して丁髷にしようかとかんがえたり。
昔、山本東という狂言師は散髪脱刀令以後も髷で通した、という話があります。そういう頑固な気質が、いまの山本東次郎家に受け継がれているのだという、保守に見える芸風を裏打ちする逸話です。
それはそれとして、丁髷にするとよいことがあるのです。『麻生』という狂言ができます。
「麻生」は昔は「末広」より人気があったともいわれている曲ですが(私はそれほど面白いような気もしませんが)、舞台上で、主人の髷を家来が結う場面があるため、上演が難しくなってしまったのです。現代、稀に上演する場合は、鬘を使っています。
それから、亡霊や病人を演じるときには髷を解いたりできます。たとえば『朝比奈』『武悪』『梟山伏』とか。
もうひとつ面白いのが『花子』です。「狂言記」という江戸時代の本にある花子の挿絵は、髷をといた男なのです。女の家にいって一晩過ごして、夢見心地で謡いながら帰ってきた男は、まだそんな髪型なんです。現代の髪型に寝ぐせをつけて出たら雰囲気がでるでしょうか?そんな気はしませんね。これは麻生よりもやってみたいものです。
もっとも「花子」の披きなんていつになることかわかりません。それまで円形脱毛症が続いているのも困りますねぇ。

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