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也留舞会(やるまいかい) 発表会 7/27名古屋

7/27(土)十時~五時半頃

狂言『也留舞会』発表会 先代野村又三郎七回忌追善
名古屋能楽堂 入場無料

萩大名
魚説法
盆山
千鳥
いろは
 素謡 羽衣
 小舞 石河藤五郎
 小舞 柳の下
入間川
腰祈
舟船
茶壷
雁大名
痩松
魚説法
竹生島参
隠狸
 小舞 石河藤五郎
 小舞 爰をどこぞ
 素謡 井筒
梟山伏
舎弟
杭か人か
呂蓮

野村又三郎門下でお稽古をしている皆様の発表会です。今回は追善会として、特別に熊本・菊池市の「みのる会」、観世流の華寿会の方たちも出演します。
私は雁大名の太郎冠者と、呂蓮の男に、お相手として出ます。
あとは装束付けなどに奔走です。
繰り返しますが入場無料です。涼みがてらどうぞおいでください。

梅雨のさなか?

今日はこれから某所で狂言「蝸牛」をします。かたつむりといえば梅雨ですね。でも東京は梅雨入りしたとはいえこの晴天。
さらに狂言の明るいカタツムリのはなしで、駄目押しにカラッとさせてしまいましょう。

ICレコーダー

じつは先日、観世流の謡の稽古を始めました。いろいろ話すと長くなりますので今回は書きませんが、間狂言のためです。

 
そこで先生には録音をして良いと言われました。というかむしろ、録音をすすめられました。私は謡本を見ていても、いっぺん聞いただけではまともに謡えないので。
 
録音機、私が大人になるまではカセットテープでした。ノーマル、フェリクロム、メタルなんてのがありましたね。ああ、なつかしい。
それからMDが売り出されました。で、MDを開発したソニーが、最近MDやめる宣言をしました。いまはICレコーダーなのでしょう。もしかしたらICレコーダーという呼び名も古くて、違う名前があるのかもしれませんが、私は知りません。
 
ICレコーダーは持っていないのです。MDに見切りをつけて、カセットテープに戻そうかと思ってもいたのです。でも、もう昔のウォークマンみたいな、スリムなテープレコーダーも無いんですよね。なんでだろう。退化。
 
こういうときに私は伝統好きの性分ゆえに、「見ろ。新しいものに飛びついても、じきにこんなことになる。」と、すぐ思ってしまうのです。でもおちついて考えると、録音機の古いのにこだわっても、あまり時代を超えた良さなんてものは期待できなそうです。
使うからには腹をくくって、ちゃんとした新しいものを買おうかな。

今頃やるまい会の解説

先月のやるまい会は無事に終了いたしました。ご来場の皆様、ありがとうございました。
好天に恵まれ…、そういえば先代は雨男と評判で、主催の時にはよく降りましたっけ。
七回忌の読経のあと、私が解説を仰せつかり、15分ほどお話をいたしました。会が迫るとどうしても自分の役のほうが気になるものですから、あまり身を入れて解説の準備もできずに失礼しました。もう少し話す内容を用意してはいたのですが。15分という時間も、五つの演目を話すにはちょっと短いですね。
 
『魚説法』
子方の狂言ではないけれど、子供がシテを演じることもあります。そういう曲はほかにもあって、たとえば「井杭」などもそうです。井杭は子供がやればカワイイという理由なのですが、魚説法はそうではありません。
新発意が一人で長々と説法するのが眼目で、ここが子供の稽古になると考えられているからだと思います。まず単純に、よどみなく言えるように覚える。仏教用語と魚の名前をかけたシャレ言葉をきちんと伝えられるように丁寧に言う。もちろん、抑揚や緩急に変化をもたせて、もっともらしく、面白く。
そう考えるとこれは「語り」の前段階の稽古になっているのでしょう。もっと短いものでは「しびり」の宣命を含めるところもそうだと思います。少しずつ長いものを経験して、いずれは間狂言でさんざんやることになるというわけですね。
 
『法師ヶ母』
酔っ払った男が、妻に離縁するといって家から追い出す。前半はほとんど、私が去年東京のやるまい会でやった「貰聟」と同じです。設定だけでなく、せりふも。
後半はまったく違います。男の物狂いになってしまいます。最近はあまり言いませんけど、いわゆるノイローゼみたいなもんでしょう。狂言では女物狂いはなくて、男ばかり「金岡」「枕物狂」などがあります。「金岡」「枕」は恋わずらいですけれど、「法師ヶ母」の場合は、男が妻を失って後悔と悲しみを背負って彷徨っている。能のような雰囲気に振れているようにもおもいます。それでも後の後半、妻とのロンギでは、おべっかを並べ立てて仲直りするのですから、能とは違いますけどね。
私、この曲名がじつはよく出来ているなと思ったのです。「法師ヶ母」子供の母という曲名です。
私ごとで恐縮ですが、昨年子供を持ちました。ある日、妻が息抜きのために出かけて、私が夜まで子供の面倒を見たことがありました。赤ん坊のことですから、ミルク飲ませて、風呂に入れて、眠くなったら寝かせればいいんでしょと気安く請け負いました。途中までは良
かったのですが、風呂から出たころに母親がいないことに気づいたらしく、もうあとは泣きどおし。ミルクを飲むにも、いつもは黙って一気飲みなのに、途中で何度も中断して泣くのですね。「帰ってくるよ」などと話しかけはするものの、通じませんから。子供が悲しそうな顔で泣いているので、こちらも参ってしまいます。子供と母の関係を甘く見ていたと思いました。
そういう経験をしてみて、男対女、一対一関係の狂言より、法師ヶ母という狂言のほうに、深みがあるように思えてくるようになりました。
 
(後半はまたこんど)

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