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井筒と楊貴妃のアイ

今日は大学の同期である、観世流の坂真太郎くんのご社中発表会において、能の「井筒」と「楊貴妃」の間狂言をさせていただきました。井筒のほうは私も初めてで、たいへん勉強になりました。

さてこの二曲、どちらも優美な女性がシテの、鬘物とか三番目物とかいう演目で、三番目物の間狂言は他に比べて、格が、難易度が高いとされています。
ですが、今日の二曲の間狂言はそれぞれまるで違う。井筒は典型的な居語りで、楊貴妃は最初にちょこっと道を教えるだけのアレッというほどの役です。やりがいでいえば、井筒のほうが断然!あります。

ところが楊貴妃のアイは案外くせ者です。死後の楊貴妃の魂魄が住む蓬莱の島にいる住人・「常世(とこよ)の人」です。なんなんでしょうこの人。やはり死者なのか、異界の人というべきか。
狂言方が演じる異界の人というと、ほとんどは鬼か、末社の神かというところで、面をつけます。楊貴妃のようなわけのわからない役は、ほとんど無いのではないでしょうか。

今日の楊貴妃のワキをなさった安田登さんは、このワキが常世の国に来る道行きの謡について、「夢の中のように」と教わったのだそうです。
ではアイは、「夢の中に出てきた普通の人のように」ということになりそうですが…
しばらく悩んでみます。

唐人子宝のテレビ放映

 昨日、NHKのEテレ、にっぽんの芸能で、私たちの狂言『唐人子宝』が放送されました。
途中で緊急地震速報が入ったので、録画はまた再放送のほうでやりなおしたいと思います。

 さて、唐人子宝は、昨年の「やるまい会」名古屋と東京に於いて上演しましたが、じつはたいへん珍しいものです。実際の正確なところはわかりませんが、この話ができてからいままで、上演回数はそんなに多くはないのではないかと思います。少なければ十回そこそこ。多くても三十回には届かないのではと思うのですが。

 番組でも稀曲であるという取り上げ方をしていました。能楽堂で稀曲をする場合は、しぜんそういう興味でみてくれる人が多いのですが、テレビでは、代表曲も稀曲もよくわからない人も大勢見ることになります。当然のことながら、稀曲をするにも、結局それ自体を魅力的にしなければいけないのだと改めて感じました。
 だけどたぶん、唐人子宝は、はじめから稀曲として作られた稀曲なのでしょう。どういうところが魅力的になりうるのか、終わってしまったのでのんびり考えてみます。稀曲っぽさを磨くのもテか。

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